このコーナーでは、286ライターの
HOYAPAI(ホヤパイ)が
気になる太白区の
スポット・人・物をご紹介します!
HOYAPAI
太白区在住の太田和美
(美術家・パフォーマー)が
展開しているアート作品。
三陸の海の幸「ほや」と豊穣と象徴
「乳房」をオマージした造形で、
頭に被ったり
空間に飾ることができます。
「出会うだけで幸せになる」
という都市伝説を伝播中。
- #03
- 雪の舞う『三神峯公園』で考える、紛争と戦争
- なんとも立派な桜の木ですよね。撮影時は桜の開花宣言前だったので、まだ蕾の状態でした。(笑)この公園は私が震災後に太白区民の一員となってから、大好きな場所の一つになっています。
桜の名所として多くの区民に親しまれている『三神峯公園』は、園芸品種(サトザクラ)の多い公園です。現在、約750本48種類(サトザクラ、ソメイヨシノ、ヤエザクラ、シダレザクラ…)の早咲きから遅咲きの桜まで、約1か月間ゆっくり楽しむことができます。
- -この場所に桜を植えた人物は、どんな方だったのでしょう?
- 桜の起源は1916年(大正5年)に、源義家が多賀神社に参詣されたことにちなみ、西多賀村(現:太白区三神峯)の小畑忠次郎村長が数百本の桜をボランティアで植栽したことがはじまりとされています。丘上の桜は、小畑村長の次男である進氏が大学の指導を受けながら、全国から園芸品種でサトザクラなどの苗木や種子を取り寄せ、神社所有地の畑で育苗したものです。
今でもたくさんの地元の方が、花壇の整備などをして管理されています。
- -終戦後に開園した『三神峯公園』には、遺跡が眠っている!?
- この場所は縄文時代と古墳時代の複合遺跡で、公園のほぼ全域にわたり大規模集落跡地です。見つかった遺物は、縄文時代前期の竪穴住居の集落跡と遺物包含層から多数見つかっていて、今も公園の地下に遺跡があるんです!
1937年(昭和12年)になると太平洋戦争が拡大し、ここに仙台陸軍幼年学校が建てられ中学生の年代の子どもたちが通い、訓練を受けていました。しかし、仙台空襲(1945年)で校舎は被害を受け、敗戦に伴い解散。その後は、高等学校の校舎や東北大学の校地となり、1967年(昭和42年)にこの公園が開園しました。
仙台陸軍幼年学校 校門の石柱
- -戦争や紛争は、なぜなくならないのか。
- 私たち人間は最もらしい都合をつけて傷つけ合い、悲しい思いをしなくてはいけないのでしょうか。昨今の度重なる紛争と戦争によって、たくさんの命が奪われています。国土を保つため?思想や人種の違いを跳ね除けて自らを正当化しようとする一部の俗物が存在するから?
では、その根底にあるものは何でしょうか。私が日頃から思うことは、年齢や立場などは関係なく誰でも否定されるのは嫌だし、嫌われることが怖くて「架空の敵」と戦っているということ。
「恐れ」は人の心を惑わすものだけど、正しく向き合っていきたいですね。
- -先が見えなくても、生きることを諦めてはいけない。
- この公園の西多賀側を歩いて進むと、街を一望できる場所があります。写真では雪に霞んでしまっていますが、荒浜や名取市の閖上港を見渡せるんです。
私はよく、ここのベンチに座ってお茶を飲みながら一息ついたり、考え事をします。見晴らしのいいところでは「明日は少し元気になれそう」と、前向きにちょっと明るい未来を考えられるんですよね。
気温も暖かくなってきていますので、何もしない一人の時間を『三神峯公園』で過ごされてはいかがでしょうか。
- -次回予告
- 次回はお祭りには欠かせない、地元発祥『〇〇音頭』をご紹介。太白区には、どんな音頭がいくつあるのでしょう?(笑)どうぞお楽しみに!
註
(1)『仙台市史』通史編7(近代2)
(2)仙台市ホームページより
(昭和55年4月24日 小畑家いとこ会・小畑正男編『三神峯公園とさくら』一部抜粋)